146 研究系及び研究施設の現状
3-5 分子集団研究系
物性化学研究部門
薬 師 久 彌(教授) (1988 年 5 月 16 日着任)
A -1)専門領域:物性化学
A -2)研究課題:
a) 分子導体における電荷秩序相の研究 b) 電荷移動を伴う相転移の研究
A -3)研究活動の概略と主な成果
a) 電荷の局在化に起因する金属・絶縁体転移では,クーロン反発エネルギーを最小にするために,電荷分布に濃淡が発 生する。この濃淡は通常格子の変形と結合しており,ある特定の方向に電荷が配列する電荷秩序状態をとる。この現 象は分子導体の伝導電子が遍歴性と局在性の境界領域に位置しているためであり,多くの分子導体で普遍的に起こ る現象である。我々はこのような物質を振動分光法を用いて系統的に研究しているが,本年度は以下のような結果 を得た。
(i)B E D T -T T F 赤外活性モード:B E D T -T T F 分子には三つの C =C 伸縮振動モードがあるが,二つはラマン活性で一つは赤 外活性である。いずれのモードの振動数も分子上の電荷(価数)に敏感であるが,振電相互作用の影響を受けない赤外活 性モードは伝導面に垂直な偏光で測定できる大きな結晶が得られれば電荷分布を知るのに理想的なプローブとなる。この 赤外活性モードの電荷と振動数シフトの関係を系統的に調べて,振動数より電荷を見積もるための経験式を得ることができ た。
(ii)θ-(BEDT-TTF)2CsZn(SCN)4:この物質は低温まで金属を保持するθ-(BEDT-TTF)2I3と電荷秩序相転移を起こす典型的 な物質であるθ-(BEDT-TTF)2RbZn(SCN)4との中間のバンド幅をもつ物質である。この物質は低温で非線形伝導が報告さ れ,電荷秩序相が成長していることが予想されているが,赤外・ラマン分光法では大きな振幅の電荷秩序相を見出すことは できなかった。この結果はNMRと一致しており,振幅の小さな電荷密度波が非線形伝導に寄与していると推測される。また, 格子歪が発達していることも反射分光法により明らかにすることができた。
(iii)β”-(BEDT-TTF)4([(H3O)M(C2O4)3]Y (M = Ga, Y = C6H5NO2; M = Cr, Y = C6H5NO2; M = Fe, Y = C6H5CN):低温で抵 抗を増加させながら常圧で超伝導転移を示すこれらの物質は金属相と絶縁相の混在する不均一な電子相で構成されてい る。この絶縁相が電荷秩序相である可能性をラマン分光法により明らかにした。ただし,典型的な電荷秩序相に比べて密度 波の振幅が小さいので,今後まだ検討の余地を残している。
(iv)(DI-DC NQI)2A g の電子状態:(DI-T C NQI)2A gはウィグナー型の電荷整列状態が提唱された最初の物質である。この物 質の伝導鎖に垂直な偏光方向で赤外活性モードを観測し,複雑に分裂した C = C および C = N 伸縮振動の帰属を行って, NMRと同様な電荷の不均化(0.25:0.75)がある事が分かった。また,バイブロニックバンドの赤外・ラマン交互禁制則より,
2kFCDW+4kFBOW模型を提唱した。この模型は NMR の予言する4kFCDW模型と異なっており,両者を包含する考えが必
要である。
研究系及び研究施設の現状 147 b)イオン結晶であるビフェロセン-(F1T C NQ)3はイオンの価数を変化させる相転移を起こす。この物質の相転移が広い 温度範囲で連続的に発現してることに興味を持ち,研究を開始した。従来,ビフェロセンの鉄の価数が変化している ことが観測されていたが,F1T C NQの価数が変化していることを赤外ラマン分光法で明らかにした。また,幅広い相 転移の温度領域では高温相と低温相の分域が共存し,この分域の大きさが巨視的な大きさであることを明らかにし た。
B -1) 学術論文
K. YAMAMOTO, K. YAKUSHI, M. MENEGHETTI and C. PECILE, “Bond and Charge Density Waves in the Charge Localized Phase of (DI-DCNQI)2Ag Studied by Single-Crystal Infrared and Raman Spectra,” Phys. Rev. B 71, 045118 (10 pages) (2005).
M. MAKSIMUK, K. YAKUSHI, H. TANIGUCHI, K. KANODA and A. KAWAMOTO, “Influence of the Cooling Rate on Low-Temperature Raman and Infrared-Reflection Spectra of Partially Deuterated κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2] Br,” Synth. Met. 149, 13–18 (2005).
R. SWIETLIK, K. YAKUSHI, K. YAMAMOTO, T. KAWAMOTO and T. MORI, “Infrared and Raman Studies of the Phase Transition in the Organic Conductor (TTM-TTP)I3,” Synth. Met. 150, 83–92 (2005).
T YAMAMOTO, M. URUICHI, K. YAMAMOTO, K. YAKUSHI, A. KAWAMOTO and H. TANIGUCHI, “Examination of the Charge Sensitive Vibrational Modes in ET Molecule,” J. Phys. Chem. B 109, 15226–15235 (2005).
A. F. BANGURA, A. I. COLDEA, J. SINGLETON, A. ARDAVAN, A. AKUTSU-SATO, H. AKUTSU, S. S. TURNER, P. DAY, T. YAMAMOTO and K. YAKUSHI, “The Robust Superconducting State in the Low-Quasiparticle-Density Organic Metals β”-(BEDT-TTF)4[(H3O)M(C2O4)3]Y; Superconductivity due to Proximity to a Charge-Ordered State,” Phys. Rev. B 72, 014543 (13 pages) (2005).
K. SUZUKI, K. YAMAMOTO, K. YAKUSHI and A. KAWAMOTO, “Infrared and Raman Studies of θ-(BEDT- TTF)2CsZn(SCN)4: Comparison with the Rapidly Cooled State of θ-(BEDT-TTF)2RbZn(SCN)4,” J. Phys. Soc. Jpn. 74, 2631– 2639 (2005).
B -2) 国際会議のプロシーディングス
M. INOKUCHI, A. NAGAOKA, I. SHIROTANI, H. KAWAMURA, K. YAKUSHI and H. INOKUCHI, “Optical studies of shear stress on thin films,” Synth. Met. 152, 421–424 (2005).
B -6) 学会および社会的活動 学協会役員、委員
日本化学会関東支部幹事 (1984-1985).
日本化学会東海支部常任幹事 (1993-1994, 1997-1998). 日本化学会職域代表 (1995- ).
日本分光学会東海支部支部長 (1999-2000).
148 研究系及び研究施設の現状 学会の組織委員
第3,4,5,6,7,8回日中合同シンポジウム組織委員(第5回,7回は日本側代表,6回,8回は組織委員長)(1989, 1992, 1995, 1998, 2001, 2004).
第 5,6,7回日韓共同シンポジウム組織委員(第 6回,7 回は日本側代表)(1993, 1995, 1997). 学会誌編集委員
日本化学会欧文誌編集委員 (1985-1986). 文部科学省、学術振興会等の役員等
日本学術振興会特別研究員等審査会専門委員 (2000-2001). 科学研究費委員会専門委員 (2002-2005).
その他
新エネルギー・産業技術総合開発機構(NE D O)国際共同研究評価委員 (1990). チバ・ガイギー科学振興財団 選考委員 (1993-1996).
東京大学物性研究所 共同利用施設専門委員会委員 (1997-1998, 2001-2002). 東京大学物性研究所 物質設計評価施設運営委員会委員 (1998-1999).
B -10)外部獲得資金
特定領域研究(A ), 「分子性物質の電子相関と電子構造」, 薬師久弥 (1994年 -1996年). 特定領域研究(A ), 「π-d電子系分子導体の固体電子物性の研究」, 薬師久弥 (1997年-1997年). 基盤研究(B ), 「金属フタロシアニンを主とするπ-d電子系の研究」, 薬師久弥 (1997年-2000年).
特定領域研究(B ), 「π-dおよびπ電子系分子導体の磁性・電気伝導性の研究」, 薬師久弥 (1999年-2001年). 特別研究員奨励費 , 「分子性導体における電荷整列現象のラマン分光法による研究」, 薬師久弥 (2001年 -2002年). 基盤研究(B ), 「分子性導体における電荷整列現象の研究」, 薬師久弥 (2001年 -2003年).
特定領域研究 , 「分子導体における電荷の局在性と遍歴性の研究」, 薬師久弥 (2003年 -2007年).
奨励研究(A ), 「顕微赤外共鳴ラマン分光法による種々の分子配列様式をもつ有機伝導体の電荷状態観測」, 山本 薫 (2000 年 -2001年).
若手研究(B ), 「遠赤外反射スペクトルによる二次元電荷整列系の電子構造解」, 山本 薫 (2002年 -2003年).
若手研究(B ), 「伝導性電荷移動錯体の電荷秩序相における非調和分子振動と非線形光学効果」, 山本 薫 (2005年-2006 年).
C ) 研究活動の課題と展望
θ-型BEDT-TTF塩の電子相図における高温相はバンド幅の広い物質では金属的であるが,バンド幅の狭い物質では高い
伝導性を保ちつつも,金属と半導体の中間的な状態である。この状態は電気抵抗がほとんど温度に依存しない領域に現れ, 振動分光法で眺めると電荷がほとんど止まって見え,空間的に不均一な電荷密度分布をもつ状態に見える。NMR でもある 温度領域では不均一な数kHzという遅い電荷密度ゆらぎが観測されている。これらの不均一な構造はX線散漫散乱にも観 測されているが,金属からウィグナー格子に至る中間状態としての統一的理解はまだ得られていない。電荷密度のゆらぎは 屈折率のゆらぎを引き起こすので,光散乱法を用いてゆらぎの時間スケールを観測する実験を計画している。
電荷秩序状態と金属相との境界領域にある超伝導相では電荷ゆらぎを媒介とする新しい超伝導機構の理論が提案されて
研究系及び研究施設の現状 149 いる。今年度実験を行ったβ”-(BEDT-TTF)4[(H3O)Ga(C2O4)3] C6H5NO2では小さな振幅の不均化しか観測できず,電荷秩 序相かどうかに曖昧さが残っている。もっと大きな振幅をもつβ-(DMBEDT-TTF)2PF6の研究に着手しているが,高圧下超伝 導転移前後の状態をラマン分光法で研究し,電荷秩序と超伝導の関係を明らかにすることを計画している。
電荷秩序相はその配列様式については良くわかってきたが,強誘電的性質についてはまだ始まったばかりである。本年度 はα-(BEDT-TTF)2I3の強誘電相において,1.4 µmを基本波とする強い第二高調波の発生を観測した。この第二高調波は 中赤外領域の電荷移動吸収帯に共鳴していることを明らかにした。このことは電子変位型という新しい型の強誘電相がで きていることを示唆している。実際,立ち上がり1 ps以下,回復時間 30 ps程度という高速の S HG 応答性が予備的に観測さ れており,電子の変位が強誘電相を引き起こす事をさらに裏付ける結果である。他の電荷秩序系へと物質を広げることと第 二高調波発生の機構を明らかにすること,また強誘電相の性質を電子・格子相互作用の観点からも明らかにしたいと考え ている。
最後に,走査型レーザー顕微鏡をもちいて,ビフェロセン-(F1T C NQ)3の共存相温度領域における分域構造の温度依存性 を観測し,相転移の機構を明らかにすることを計画している。